昭和四十一年七月二十七日 朝


一心にお縋りをするより他にはない、そう申します。
 神様一心にお縋りするより他にない- という事は、どういう事かと云うとね、私が改まるより他にはない、という事と同じなんです、でなからなければ一心に縋っても、それはおかげにも徳にもなりません ね。
 何かの形に今まで一生懸命でなかったところを、一生懸命に改まらしてもらうと ね、自分の心ん中にこれではおかげの受けられん事が分かっておりながら、ね、改まりが出来ないとか、いや分かっていなくても、お話を頂いておるうちに、これでもなかろうか、あれでもなかろうかと、こう心に感じたらそれを一つ一つ改まっていく と、一心にお縋りをするという事はね、いや 一心にお縋りをするじゃあない、もうお縋りするより他にないという事 ね、一心にお縋りするより他にはないという事は、私が改まるより他にはないという事なんだ。
 こゝんところがひとつ、良-く分からしてもらわんとね、信心が一つも進みません。皆さんそういう風に感じられない、感じられた事はないでしょうか。
 一生懸命お参りもしておる、一生懸命お縋りもしておる、どうぞとお縋りをする、お取次の夕べの御理解だったですかね、お願いをすればおかげを頂く、けれどもそれは本当のおかげなんですね。
 それによって信心は頂けないという事、お徳を受けられないんです、お願いをする、おかげを頂く、ね、それだったらどういう事んなりますかというと、それは、いうなら神様に借金する様なものなんだ、この世では頂き済ました様であっても、ね、神様はあの世まで、氏子がこの世で借金払いが出けん時には、氏子がこの世で本当の信心が分らん時には、という意味でしょ、ね、信心は分からずにおかげだけを頂く頂いておる氏子の上には心配をするなと、あの世に あの世にでも神が集金に行ってやると、桂先生に仰っておられますもんね。
 神様は、だからあの世にまで借金取りに来られたんでは、かなわんでしょうが、よし こゝではね、要領、要領なら要領一丁でね、本当にそうですよ、要領ででもおかげ頂くんです、けれどもそれはですね、神様に借金する様なおかげであって、あの世の事が分らんからというておっても、やっぱりあの世でも、あの世までも集金に来られなければならないという様な事では、つまらないでしょう、ね、どうでも信心を分からして頂かなければならない、信心に伴うところの、信心の成長に伴うところのおかげと、これなら 言わば自分の力に、その範囲に現われてくるかげですから、神様も喜んで下さって、神様は成長した事を、子供の段々育って行く事を、喜んで下さって下さるおかげなのですから、これは有難いおかげだね。要領でもいけません、その事についてから色々 昨夜頂いたんですけども、今朝から私頂いとります事をどうぞ 一番始めに私が申します様に ね、一心にお縋りするより他にはないと、という事は ね、私が人じゃありませんよ、ね、息子じゃないですよ、娘じゃないですよ、家内じゃないです 主人じゃないです、私がですね、皆さん一人一人がですね、私が改まるより以外にありません。一心にお縋りをするという事は、私が改まるより他にありません。そこに信心の成長があるのですよ、ね。
 昨日、久しぶりにある方が、ある方から何ちいうですかね、あの現金書留の大きい封筒がありますね、あれに入れての手紙が参りましたです、「御造営費」のお金を送って見えたんだろうかと、私は思うて開封した。
 便箋三枚にビッシリ書いてあった、それにです、もう本当にご主人が非常に、難儀な病気を持っておられる、その上に又、その胃潰瘍ですかの手術をしなければならん、それも相当の重態である、今その主人を亡くしたら、もう本当に「      」様な事になるのでございますから ね、随分長い間御無礼致しました。
 ご無礼しとる間に随分、あちらにも迷い、こちらにもお縋りしたし、お縋り まあいうなら医者や薬じゃと迷いましたけれども、愈お縋りするより他にございません、というて手紙が参りました。
 愈お縋りするより他にありませんと、そしてそれに書いてございます、もうせめて腹を立てん修業さして頂こうと、思うのでございますけれども、その人が娘時代に、椛目に熱心に詣ってきた方なんです。腹を立てちゃいかんと思いますけれども、そうして不自由の主人、それの姑親が 小さい子供達が二人ですが、そしてちょっとしたお商売をさして頂いておりますがです、もうあれやこれやち煩雑んなって参りますと、腹を立てちゃあいかんと思うけれどもですもう腹が立ったり、イライラ致しましたり、真に相済まん事でございますと、せめてこの修業だけなりともと、こう心掛けさしてもらうのでございますけれども、椛目を遠ざからして頂いておりますと勿論遠方におりますから、本当に修業も出来ません。
 相済みません、これから本気でひとつその事に、取り組ませて頂きますと、どうぞ先生、どうぞこの事だけはお助け下さいというてもう、切々と書いてございます、ね。
 もう神様にお縋りするより他に、ないというのです ね、神様にお縋りするより他になし、そういうその事がです、そんなら私が改まるより他になしという事、。
 お取次を頂く、お願いをする、お参りをする、それも必要でしょうね、そしてそこに答えを出し出されるのは、誰彼ではありません私が改まるより他にはなしという事、でないとです、信心が成長しないです、そこで私が皆さんに、朝晩こうしてお参りになる皆さんにです、思う事でございますけれども、ね、例えばそういう 医者が見離した、愈難儀になったという時でなからなければです ね、一心に神様にお縋りするより他にはないという事が分らんという事ではつまらんでしょうが、いうなら、もう朝目が覚めてから休ませて頂く、いや寝とる間にだってですよ、ね、もう一日中がですよ、も一切がですよ、神様にお縋りするより他になしという事をです、皆さんは分かっておいでであろうと、私は思うのです。
 何が出来ますか、そういう風に何か出来る様にして、あれに頼りこれに頼り、そして要領ばかりで私は、毎日を過ごしておるような事ではなかろうか ね、そういうやっておる間はです、それはいうならば影を頂いておる間なんです
 やっぱ要領だけででも、こうしておかげ頂きよる、改まらんでんおかげ頂きよる、それは ほんの影だけなん、いうなら神様に借金をしておる様な影なんだね、で、これはいけんと分からして頂くところから、言わば真の信心に目覚めてくる。
 真の信心とはどういうような事かと、あなたのおかげを受けなければ、こゝ一寸動かれない私達なのだ、いや私なのだと、神様のおかげを頂かなければ 神様のおかげを頂かなければ、立ち行かない私だという事、ね。
 必ずしも医者に見離されなくても、愈 あちらに頼り、こちらに縋って、どうもこうも出来んごとなるか、こりゃどうでんこうでんやっぱお縋りする他になかろうが、お母さん、こりゃどうでんこうでん神様にお縋りする他んなかろうが、お父さんという風な事では、もう本当いうたら手遅れなんです。
 そうでしょうが、手遅れという事じゃないけれども、その位な信心では、毎日日参り お参りさして頂いておる値打ちはないでしょう、障子一重がまゝならぬ人の身であるという事をです、本当に分からして頂いたら ね、実際あなたのおかげを頂かなけりゃあ、こゝ一寸動かれぬ私達なのだから、神様にお縋りするより他にはなしと、こゝに日々刻々信心を進めていけれる道がある訳なんです。
 神様にお縋りする他にはなしという事を、いうならばですね、私が改まるより他にはなしという事にです、直結したもの、それとこれとがお縋りする事と、改まる事が、別々の様に思うておったんでは、信心が成長しません。
 そこから頂けてくるところの、おかげであったら ね、いうならばもう兼帯でっていうと、ちょっと言葉が過ぎますけれど、いや神様が喜んで下さって頂くところのかげなんです。
 神様も喜び氏子も喜び、金光大神をも喜びという様なおかげなんだ、これが積もり積もって徳にならない筈はない、おかげをうけながら、徳を積んで行けれる道なんだ。
 どうぞ皆さん、こゝんところをですね、もう本当に分からなきゃいけんですよ、神様にお縋りするより他になかのや ち、あんた方良く云われるでしょうが、神様にお縋りをする他ないという事は、一心に参らないかんという事もある、一心に教えを頂かにゃならんという事もある、様々な修業も試みるという事もある。
 けれどもギリギリのところはです、私が参って拝んで修業さして頂いて、同時に私が改まるより、他にはないという事なんだ、必ずしもそれに行き詰まり、これに行き当たってからという事ではないでしょうが、信心が分かれば分かるだけ、そこんところのおかげを頂かなければいけません。
 船は帆任せ風任せ、神さま任せとは、金光様任せであり、親先生任せであると、ね、神様にお任せしておりさえすりゃよか、という事はですね、有難い事なんですけれども、愈、こゝこそ任せんならんという時に任せず、あれこれと頼ったり縋ったり、迷うたりしておる様な事はないでしょうか。
 平穏無事ん時には帆を上げてりますからね、それで良いのですけど、少-し風が強くなってくる、船が揺れ出してくる、そしたらもう、いわば帆は降ろしてしもうてから、他んところん ね、頼みに行こうとする、自分の我力で行こうとする、これでは何時まで、何時まで経っても良い港に着く筈はないですよ、ね、皆さん、少-し風が出てきた時こそです、その船足も早くなる、只問題はその帆のあやつり方ひとつにあるのだ ね、その帆のあやつり方というのがです、どういう事かというと、私が今朝その事頂いて、そうだと思ったんですけども、今私が云うておる事なんです。
 私共がおかげの方方向がズ-ッと向き直る、しかも船足が早くなるというのはです、神様に一心にお縋りするより他にはないという事がです、私が改まるより他にないという事が、船の舵を変えることであり、帆の行き方を変え向きを変える事であり、そこに万風を、万風をその帆に受ける、ね。
 今までは、言わば行た-り戻ったりの様な、ぐるぐる廻りの様なその船がです、一路 有難い方へ有難い方へと、神様が いわゆる神風のまにまに、それが私共の思いも掛けなかった有難い港へ着いて行くおかげが、頂けれる事なんですよ。
 もう神さま任せんなってさえ行きゃっていうのは、そういう事なんです、ちょっと風が吹き出したら も神さま、やっぱ誰さんに一丁お願いして行く、も、帆は降ろしてしもとる様な これでは何時まで経ってもね、徳をたとえ持っておりましても、ぐるぐる廻るだけの事、おかげが進展しないのです。
 信心が進展しないのです、神様に一心にお縋りするという事、神様に一心に縋るより他にはなしという事は ね、私が改まるより他にはなしという事なんですね。          どうぞ。